4月1日。
かんじろう君、100歳。
本当の誕生日は3月16日らしい。
100年も生きていたらおおかたのことは体験ずみだろうと思っていたが、
生きていくということはどうやらそうではないらしい。
95歳
生まれてはじめて、曾孫が毎日のように遊びにくる生活になった。
その成長をまぢかで見守れるようになった。
生まれてはじめて、アンチョビを食べた。おいしいと感じた。
生まれてはじめて、クイックルワイパーで掃除を始めた。
96歳
生まれてはじめて、愛別町生まれの曾孫に恵まれた。
生まれてはじめて、トムヤンクンを食べた。
珍しい味だが、もう食べなくてもいいと思った。
97歳
生まれてはじめて、英語をしゃべる親戚に会った。
生まれてはじめて、ブロンドの曾孫に恵まれた。
98歳
生まれてはじめて、肺炎で死にそうになった。無事、生き返った。
どうやらそのときまで死にそうになったことはなかったらしい。
99歳
27の年から連れ添った女房と離れて暮すようになった。
それまで夢もみず熟睡していたのに、ときどき女房の夢を見るようになった。
生まれてはじめて、親知らずを抜いた。
99歳最後の食事中、生まれてはじめて、
うっかりわさびをかたまりのまま食べてしまった。
鼻の奥がツーンとなった。
100歳
生まれてはじめて、年齢が三桁になった。
無事に一年過ごせますように。
いまだ胃の痛みというものは経験したことがないらしい。
運も良かったのかもしれないが、戦中戦後を生き抜いて
結核菌や赤痢菌にも負けることのない
じょうぶなからだに恵まれたひとなんだろうと思う。
でも、見ていると、
早寝早起き、規則正しい生活。
定期的に水を飲む。
野菜、豆、魚、海藻中心の食事。
適量のお酒。
歩く。足踏みする。
足の裏のマッサージ。
くよくよしない。
知らず知らずにからだにいい生活をしている。
自我自賛。自己評価が高い。前向き。
古稀と還暦の近いふたりの娘たちは
わたしたちも長生き遺伝子を持っているのよと
自分たちを鼓舞している。その存在が励ましになっている。
いまもひとりでバスに乗って旭川の病院に行くが
とある病院では看護士さんが近くにいる患者さんたちに言うらしい。
「みなさ〜ん、このかたはもうすぐ100歳ですー
たったひとりでバスに乗って愛別から来るんですよー」と。
喜ばれて(珍しがられて?)握手とか求められるらしい。
それがまた生き甲斐らしい。
元気でいてね。
愛別町の曾孫たちと。オンジのおうちにて。